Vestax

DJ Booth のスペック(3)

1990年頃、家庭でDJを始めた頃はなんせ機材の種類がほとんんどありませんでした。当然[Pioneer DJ]などのメーカーは存在すらしておらず、パソコンを使ってDJをするなどの発想は皆無w
今考えると、自宅で自分で楽しむ以外に、人でも呼んで聞かせるか、カセットテープに録音して聞かせるくらいしか出来なかったですもんね。

そんななか、ある画期的な出来事がありました。当時も[Vestax]などのメーカーが各チャンネルごとの音量をフェーダーで可変可能なDJ用のミキサーを発売していましたが、これとアナログターンテーブル2台を組み合わせていわゆる曲のつなぎは可能でした。ただ当時すでに音楽の音源がビニールからCDに移行がかなり進んでいたこともあり、手持ちの音楽ソースを活かそうとすると実はアナログターンテーブルだけでは、ソースの量が絶対的に不足になります。

そんなときに、日本のオーディオメーカーの[DENON]が、卓上型CDプレーヤーで音楽ソースの再生速度を±10%(レンジは0.1%)で可変出来る機種[DENON DCD-850]を発売したため、これがあればアナログターンテーブルを利用したソースとCDプレーヤーで再生したソースのビート同期が短い時間なら取れるのではないか?と・・・ならば、当時使ってい[Sony]のミニコンポに『DJミキサーとして[Vesta PMC-09]、アナログターンテーブルとして絶対的な王者であった[Technics SL-1200 MK2]のある意味廉価版として発売された[Technics SL-1200 MK3]を2台、そして前述のCDプレーヤーを2台』追加で買えば、音源ソースとしてアナログターンテーブルx2とCDプレーヤーx2の【かなり本格的なDJプレイシステムの構築】が可能になると思い込み、大した実証をする事もなく大人買い〜w
当日日本はバブル真っ最中で会社入りたてくらいの筆者でもそれが出来た良い時代でしたねぇ〜

実際には当然PCを利用したDJ環境があるわけでも無かったので、実はソースの曲のBPMが幾つだとかは実際のプレーにはほとんど影響なく、たまたま聴いていて近いテンポの曲があった時のみ可能な限り長い小節を繋げて・・・程度しか出来ませんでしたね。アナログターンテーブルはソースの曲にキックだけとかベースだけでループ的な小節があれば、曲自体を繋げることは可能だった(今みたいに自動ループする機能などは当然無いですし、ソースの曲の小節にスタートポイントを付ける今で言うホットCUEみたいなのも当然無い)のですが、CDプレーヤーの方は再生速度を±10%(レンジは0.1%)を変更出来てもそもそも操作する自分自身がアナログなので、なかなか上手くいかなくてですねw。ある意味アナログターンテーブルに比べると前述の繋げるポイントの頭出しのホットCUEはいわゆる[PAUSE]ボタンで代用出来るのですが、今で言うBeatシンクなどは当然ないので、スタートがちょっとでもずれると打つ手無し・・・でしたね。それでもいろいろ工夫して楽しみましたが。

実際この1990年頃に構築したDJシステムを自分は20年ちょい愛用(CDプレーヤーはそこまで持ちませんでしたが・・・)、割と長く使えました。

まぁ正確に言うと、『DJミキサーとして[Vesta PMC-09]、アナログターンテーブルとしての[Technics SL-1200 MK3]』が最強に丈夫だったのが最大の理由であることに間違いはありませんw
古い話であまり記憶してないけど、この頃にはまだ[ortofone]は、そんなにDJの方々は利用しておらず、ほとんどのDJの方が左図の[Shure M44G]を使ってましたね。
筆者も特に聞き比べすることもなく[Shure M44G]を採用してました。

DJ Booth のスペック(2)

先程の投稿でも記載しましたが、長年やっていると機材がどんどん変わり、その変遷にずっとハード的にもソフト的にも自分自身も追いつくことは当然出来ず、もっと言うとそういう路線からは疾うの昔に外れているので、あくまでもお気楽に〜ですね。
最初に揃えたDJ機材と言うと、当然デジタルも何もない時代だったので、ターンテーブル2つちミキサーが必要となります。
昭和40年生まれからすると、いわゆるバブル世代ですが、そもそも夜遊びデビューは早くて高校時代のディスコだとキサナ(ドゥ)やナバーナとかもありましたが、昭和59年に超有名なマハラジャが大阪からが麻布十番に進出してきます。これが結構文化を変えまして、前述のキサナ(ドゥ)やナバーナのようにカジュアルにお酒のんで踊るスペースから、なんかハイソ(w)な社交場へとなり、入店時の服装チェック(カジュアル禁止)などでずっと六本木などで遊んでいる人の多くを敵にまわし、新参な夜遊びさんで集客すると言う流れに分かれます・・・
で、昔から六本木などの夜の世界に居る方は、マハラジャやその後のKing and Queenや昭和63年に大きな事故を起こすTURIAなどには行かずにアンダーグラウンドなスペースで集まっていたイメージですね。

その後ですが・・・個人的な庭環境だった六本木や西麻布界隈のエリアからするとアンダーグラウンドMAPは左の図(※クリックすると拡大します)な感じ・・・でした。この地図には載せてませんが、浜松町の東芝ビル近くにひっそりと営業していた歌謡曲含めたオールジャンルの箱サイズ30名マックスくらいの良いお店がありました。。。名前なんだっけなぁw
他にもojijiが働いていた目黒区鷹番の謎のクラブなど、なんせ夜の世界が絶好調と言うか上り調子でしたね・・
いわゆる、こういう草の根文化が絶大な信頼を徐々に得ていく時代でした。ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターなど、洋楽系のニュー?かネオなのか忘れましたが新しい系(Style Council1とかAztec Camera)に影響を受けてる系が一部おしゃれさんから高評価を受けるように。

でw、話がだいぶ前述投稿で否定した昔話になっていますが・・・DJ Booth話に戻すとですね、当時は左上の写真のTechnicsのSL-1200MKシリーズ(当時はMK3)しかターンテーブルの選択肢はありませんでした。TechnicsのSL-1200MKシリーズまでは原則的にはターンテーブルを回すモーターとターンテーブルを回す駆動伝達にはゴムなどのベルト方式が採用されており、TechnicsのSL-1200MKシリーズでようやくベルト方式でなく直結プリー方式に変わった気がします。ベルトなどの中間動力伝達部材が減ることにより、ランニングコストが減少し、結果機器の寿命が延びると言うことにも繋がります。ojijiのTechnicsのSL-1200MK3はざっくり15年ほど持ちました。壊れてないですが、取りあえず更新のために処分です。

で、ターンテーブルは選択肢無いですが、実はミキサーには極めて狭い範囲の選択肢がありました、なんせ選択出来る機能もメーカーも数社しかなく、個人で購入可能なのはVestax等しか無い時代。それは後ほど・・・