DJ Booth のスペック(2)

先程の投稿でも記載しましたが、長年やっていると機材がどんどん変わり、その変遷にずっとハード的にもソフト的にも自分自身も追いつくことは当然出来ず、もっと言うとそういう路線からは疾うの昔に外れているので、あくまでもお気楽に〜ですね。
最初に揃えたDJ機材と言うと、当然デジタルも何もない時代だったので、ターンテーブル2つちミキサーが必要となります。
昭和40年生まれからすると、いわゆるバブル世代ですが、そもそも夜遊びデビューは早くて高校時代のディスコだとキサナ(ドゥ)やナバーナとかもありましたが、昭和59年に超有名なマハラジャが大阪からが麻布十番に進出してきます。これが結構文化を変えまして、前述のキサナ(ドゥ)やナバーナのようにカジュアルにお酒のんで踊るスペースから、なんかハイソ(w)な社交場へとなり、入店時の服装チェック(カジュアル禁止)などでずっと六本木などで遊んでいる人の多くを敵にまわし、新参な夜遊びさんで集客すると言う流れに分かれます・・・
で、昔から六本木などの夜の世界に居る方は、マハラジャやその後のKing and Queenや昭和63年に大きな事故を起こすTURIAなどには行かずにアンダーグラウンドなスペースで集まっていたイメージですね。

その後ですが・・・個人的な庭環境だった六本木や西麻布界隈のエリアからするとアンダーグラウンドMAPは左の図(※クリックすると拡大します)な感じ・・・でした。この地図には載せてませんが、浜松町の東芝ビル近くにひっそりと営業していた歌謡曲含めたオールジャンルの箱サイズ30名マックスくらいの良いお店がありました。。。名前なんだっけなぁw
他にもojijiが働いていた目黒区鷹番の謎のクラブなど、なんせ夜の世界が絶好調と言うか上り調子でしたね・・
いわゆる、こういう草の根文化が絶大な信頼を徐々に得ていく時代でした。ピチカート・ファイヴやフリッパーズ・ギターなど、洋楽系のニュー?かネオなのか忘れましたが新しい系(Style Council1とかAztec Camera)に影響を受けてる系が一部おしゃれさんから高評価を受けるように。

でw、話がだいぶ前述投稿で否定した昔話になっていますが・・・DJ Booth話に戻すとですね、当時は左上の写真のTechnicsのSL-1200MKシリーズ(当時はMK3)しかターンテーブルの選択肢はありませんでした。TechnicsのSL-1200MKシリーズまでは原則的にはターンテーブルを回すモーターとターンテーブルを回す駆動伝達にはゴムなどのベルト方式が採用されており、TechnicsのSL-1200MKシリーズでようやくベルト方式でなく直結プリー方式に変わった気がします。ベルトなどの中間動力伝達部材が減ることにより、ランニングコストが減少し、結果機器の寿命が延びると言うことにも繋がります。ojijiのTechnicsのSL-1200MK3はざっくり15年ほど持ちました。壊れてないですが、取りあえず更新のために処分です。

で、ターンテーブルは選択肢無いですが、実はミキサーには極めて狭い範囲の選択肢がありました、なんせ選択出来る機能もメーカーも数社しかなく、個人で購入可能なのはVestax等しか無い時代。それは後ほど・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です